贅沢なPAIN 〜as far as I can cry with pain〜 暗い暗い穴の中をただ何も出来ずに落ちていく。 落ちるほどにその勢いは加速し、そのうち意識を失った。 うっすらと目を開ければ、そこは冷気が支配する場所だった。 見渡す限り何処までも氷原だ。そしてそこには、同じようにここに落とされただろう死骸がそこかしこに見える。 第八獄コキュートス。神に謀反を企てた最も重い罪人が落とされる場所。 そこへただ一人落とされて、目を覚ました時にはもう既に半身が氷に埋まっていた。 直接肌に触れる冷たさが、痛みを伴って感覚に訴える。 蟹座の聖衣は身につけては居なかった。 聖衣もまた、女神と共にあるもの。 結局、自分は神の反逆者の烙印を押され、死んだのだ。 何かを考える暇も無く、じわりじわりと身体が氷の中に沈んでいった。 「……ちくしょう」 よりにもよってこの瞬間に死んでしまうとは、なんという醜態だ。 あと少しで、全ての虚構を真実にする事が出来るというのに。 今がその瀬戸際なのに。 あんな青銅のガキ共に負けるなんて考えてもみなかった。 甘く見すぎた。最初から全力で殺しにかかればきっと結果も違っただろう。 ───少しは真面目にやれ。そのうちきっと痛い目を見るぞ。 脳裏に聞き慣れた声が蘇る。 いつだってそうやっておまえは俺に小言を言うのだ。聞きやしないと判っていながら何度でも。 それでもそのうち諦めて、小さく溜息をついて最後は俺を甘やかす。 「ちくしょう」 あと少しで手が届いたのに。 今までずっとあの場所を護ってきたのは俺達だというのに。 幾人殺してきたかは判らない。だからきっとそのうち俺も誰かに殺されるのかもしれないとは考えていた。 だからといって、こんな時に死ぬとは。 最悪にも程がある。 「っちくしょおぉお!!」 じわじわと、それでも容赦なく体を飲み込んでいく氷原を渾身の力で殴る。かつて最強とまで謳われた黄金の力を持ってしても、この死の世界ではその力の半分も出ない。 氷は小さな亀裂一つ入らず、逆に殴った拳から血が弾けるように流れた。 女神が今までの俺達に何をしてくれたというのだ。 今更自分に迎合しろなんざ、向こうの勝手な言い分だろう。 俺にとっていらないのはあいつらだ。 だが、この身は神の反逆者としてこのコキュートスに落とされている。 苦労だけを強いて、手助けどころか女神なんてモノに振り回されて誰もが共に堕ちたというのに。 そんな神など、いらないのに。 人が、人の力で人の世界を作り上げて何が悪い。 結局、ただ俺はあの女神の「愛する人間」の中には入らなかっただけだ。 博愛という名の支配をしているだなんて考えもしない奴らが、今まさにあの白い階段を駆け登っているのだろう。 だが、負けてしまえばただの遠吠えだ。 どれだけ叫んだって地上の生きている奴に届かない。 後にはまだ、残されてる馬鹿が居るというのに。 それすらも、もう俺には意味が無くなる。 そうして正しく女神は君臨し、今までの全てが「間違い」となるのかもしれない。 誰もが幸せになれるように、誰もを愛するあの女神。 誰にでも変わらぬ愛情を注ぐということは、結局誰も同じだということだ。 世界は、好きとか嫌いとか妬みとか憧憬とか怒りとか親しみとか猜疑とか、あげるのも面倒なほどの感情で渦巻いているというのに。 気に入る奴が居て、気に入らない奴が居る。 殺意とか敵愾心とかがあるから、反対にそうでない感情もそうだと判る。 そんな世界で誰をも愛する「神」が実在するという事がどれだけ異質なのか、あいつらは何も判っていない。 くだらねぇ、いらねぇよ、あんなやつら。 いらねぇのに、なんで。 振り上げ、がむしゃらに叩き続けた拳は皮膚が裂け、血が飛び散った。 それだってもう構いはしない。 何故やっているのかも判りはしないのだ。 俺は死んだ。 もうすぐ痛みすら感じなくなる。 それを考えれば、この痛みすら贅沢なものだと思った。 氷が胸まで来て、首筋を這い登る。いや、登るのではなく俺の体が何処までも沈んでいくのだ。 それでも氷原に拳を叩きつける。 亀裂すら入らないその表面がただ憎らしかった。 もう少しで。 もう少しだったのに。 あと少しできっと自分たちは本当に正義になれる。そんな所で。 飛び散った血痕は、氷原に落ちた瞬間凍りつき、そしてすぐさま飲まれて消えていく。 俺がこうやってあがいている事の証拠すらここには残らない。 振り上げ続ける拳は、もう再起不能なまでに肉どころか骨まで砕けているようだった。 痛い。 この痛みもあと少しで消えてなくなる。 死にたくない、死にたくなんて、ない。 肉体の死どころか、精神の死の瀬戸際だというのに、こんな時に思い出すのは下らない事ばかりだ。 どうでもいい馬鹿話とか、毎日のように交わした挨拶とか、一緒に酒を飲んだとか、小さな失敗を笑ってやったとか、そうやって少しだけ見せた笑顔とか。 他にももっと考える事はあるだろうに。それでも切羽詰ったこの状況でそれ以外は浮かんでこないのだ。 幾度だって手を振り上げる。 この氷が割れる事は無い。頭ではわかっていてもどうしようもない理不尽な怒りが胸に渦巻き、もうただの肉なのか手なのか判別もつかないほど潰れた拳を叩きつける。 その瞬間、意識を覚醒させる激しい痛みが駆け抜けるのだ。 最後のその瞬間まで、この痛みを感じていたかった。 振り上げた手がそのまま止まってしまっても、この痛みだけは持っていきたかった。 最後の、最期の自分だけのこの痛み。 痛い。 痛い。 痛い。 ────おまえの側に、居たい。 END 祝・蟹山羊愛好会ということで、小説を一つ。内容、祝ってないけどナ!(素直に祝え自分) 蟹は絶対最後の最後まで足掻きまくる人だと思います。 奴にとっては、生きてるって事が最大級の価値だと思うので。 死ぬ間際くらいになって、蟹は色んな事をやっと自覚できそうです。 ぶっちゃけ、山羊LOVEをですが。 よく考えて見れば、ここではもう自宅みたいに影で主張(本当か?)じゃなくていいのですね!! 傍に居れなくなって、その痛みで初めて蟹には自覚して欲しいとか思ったりします。 どんな絶望的な状況でも、最後まで足掻くのが蟹の良いところです。 山羊は反対に、すぐさま達観して諦めそうなので。潔いってのも言いようだな、とか。 微妙に正反対のこの二人が大好きです。 さっきから蟹、蟹言ってて、本当にデスマスクの事好きですか、とツッコミが入りそうですが。 ……祝、ってのなんだから、普通にラブで幸せないちゃついてるの書けばよかったなぁ、とか思いつつ。 とりあえず、これから蟹山羊愛好会をよろしくお願い致しますm(_ _)m 日向璃渓 拝 |