キッチン
『無駄に器用だな……』
呆れたような感心するような、ため息まじりの声。
『俺の器用さは役立ってるぜ? 自分で味わってみろよ』
『遠慮して……ッ、やめないか』
からかう相手に冷淡に対応していたようだが、強引に向こうのペースになった気配。
『恥ずかしがるなよ、誰も見てないんだから。可愛いぜ』
こと会話がここまできて、盟と紫龍は磨羯宮の前で足を止めた。追い討ちをかけるようにくすくすと笑う声と、何か水気を含んだような湿った音がした。
(帰りてぇ)
盟は真剣に思った。アテナに用を頼まれていなければ本当に帰るところだ。
「今入っていいのか……?」
今ほど聖闘士として鍛えられた聴覚を呪わしいと思ったことはない、とそういう顔で紫龍が誰に聞くともなしに呟く。
「オレは入りたくねーな」
盟は自分より耳のいい紫龍が煩悶しているのを見て、この宮の奥から聞こえてきた声が聞き間違いでないのを確信する。感じる小宇宙から現在磨羯宮にいるのはシュラと盟の師であるデスマスクだというのはわかっているのだが、盟が会話から予想した奥の状況は三つだ。
1. 奥の部屋にいる彼らはラブシーンの真っ最中
2. 実はそう聞こえただけで全く別の状況
3. ラブシーンまでいかないがいちゃついていることにかわりなし
二番目を願いたいのだが、別の状況が他二つよりマシではない可能性もあるので本気で踏み込みたくない。
「しかしそろそろ稽古の時間が……」
早二回目で遅刻というのは、と真面目な弟が苦悩する姿に盟は覚悟を決めた。
「じゃ、入るか。
失礼しま〜す!! 師匠いますー?」
奥にいる人間が気付くよう大声で断りを入れてから、ずかずかと宮に足を進めた。
失礼します、という声が聞こえてキッチンにいたデスマスクとシュラは同時に時計を見た。
「もうこんな時間か」
シュラはエプロンをはずし、齧りかけのチョコレートを入れ物ごとデスマスクに押し付けた。デスマスク作のホワイトチョコレートでできた子ウサギはリアルな愛らしさとサイズで、中は空洞だが渡されてすぐ食べきるのは無理な大きさだ。
「もういいなら俺が食うぞ。と……おーい、盟! こっちの部屋だ」
各宮は居住空間が全くないところから地下ダンジョンなどを作っている宮まで、その宮の主が好き勝手に扱っている。この宮で後から改装された部分は中心の回廊からは見えにくく、何度か来た者でも部屋があることはわかりづらい。
「こんにちは。……て、ここ凄ぇな。厨房?」
「個人の設備なのか?」
しばらくしてやってきた盟と紫龍の二人が驚いたように部屋を見渡した。そういえば二人ともこの部屋は初めてだったかとシュラは思い出して説明してやる。
「やはり皆驚くな。俺一人が使ってるんじゃなくて、今みたいにこいつが使ったり、白銀の連中も使いに来るいわば共
同キッチンだ。完全な公式行事だと食堂だとか教皇の間の厨房が使われるが、ここは誰かの誕生日祝いだとかそういうときにな」
薪のオーブンと氷を入れて冷やすタイプの冷蔵庫はどちらも古いものとはいえ明らかに家庭用サイズではない。その上調理台の一番上や他もところどころ大理石が使われている。これで一人暮らしの男のものというのはありえない。
四方の壁の北側を丸ごと占拠している巨大な冷蔵庫を物珍し気にながめながら盟が口を開く。
「で、師匠は何作ってるんですか?」
シュラのとなりでデスマスクは先程からかき回している小鍋から目を離さず「ザッハトルテとチョコレート細工」と答える。
「村の祭りの差し入れなんだが、毎年注文していた店が閉めてしまってな。今年はこいつが作ることになって、試作品だ」
めずらしく集中しているデスマスクにかわって説明すると、盟は確かにプロ並だからな、とうなずき紫龍はそんなに上手いのか?と目を瞠る。
「菓子はあんまり作りたくねーんだけどな、面倒だし」
ぶつぶつと文句を言ってみせるが、サガの頼みなので断らないどころかこうして試作品まで作っているあたりがこの男の律儀なところだ。
「紫龍、そろそろ時間だな。行くか」
「すいません、アテナから黄金聖闘士全員にアンケート取ってくるように言われたんで、今日中に回答お願いします。これ質問用紙です」
「わかった。必ず後で答えておく」
盟の差し出す紙をテーブルに置いて、シュラは部屋を出た。
黙々と作業するという師の姿が、実は単にしゃべるのが面倒臭くなっているだけだというのに気付いた盟は勝手にしゃべることにした。
「さっき、奥から仲良さげな会話が聞こえたんで今入ったら邪魔かな、とか思ったんですけどお邪魔でしたー?」
軽く無視。
「アンケート、同僚の人物像を述べてくださいってやつなんですよね。黄金聖闘士みんなこゆいキャラだから沙織お嬢さんもつかみかねてるんだろうけど。つーわけであなたのお名前をまず記入してください、と」
作業している目の前に紙を突き出すとようやく顔を上げて一通り文字を目で追うが、反応は冷淡だ。
「面倒。おまえが適当に書いとけ」
「えー、そう言わずに」
作業に集中しているせいかリアクションの薄い相手は、しばらくして作業を終え、近くにあった丸椅子を引き寄せて座った。
「やっぱ邪魔したんで怒ってますー?」
怒っているとはカケラも思っていない盟だったが、あれだけ自分たちをビビらせておいて何もなかったようなのでつつけるだけつついてみることにする。この際多少キレさせても恋愛感情のあるなしは確かめたい。なにせ盟の知っている師の交友関係の中でシュラの扱いだけが親友にしても別格なのだ。
「邪魔だって言ったら?」
面白がる表情で訊いてくる相手に、盟はへらっと笑っておく。
「どうお邪魔だったのか教えてもらえれば二度と同じ失敗はしないかなー、と」
「……こういう、ことだ」
不意に耳許でした声の凄みに思わず固まった。と、手に何か乗せられる。
「ハン、お子様が大人ぶるんじゃねーの。耳に息かかっただけでうろたえやがって」
見ると、ホワイトチョコレートでできた子ウサギがプラスチックの小さなボウルに入っているものだった。耳が齧られて空洞がのぞいているのが微妙に哀愁を感じさせるリアルな出来だ。
「……これ、何すか?」
「見ての通り、俺作のウサギ。シュラが困惑しながらこれと目ぇ合わせてる姿は面白かったぞ」
師が上向けた両の掌をくっつけると、サイコキネシスで盟の手から離れてちょこんとそこに収まる。どうもそんな姿勢でウサギとシュラは見つめ合っていたらしい。想像するとおかしいというか、可愛らしいかもしれない。
「あ、それで可愛いとか言ってたんですか」
まーな、と言いながら師匠はウサギを割って半分盟によこす。
「おまえも味見」
「オレ甘いの苦手なんすけど」
「そんなの知ってるに決まってるだろ。ほら食え」
味見というかそれは罰ゲームだ。
やはりこの人がシュラと二人のときは邪魔しないでおく方が賢明だな、とそれ以上の追及をやめて大人しくチョコレートを食べる盟だった。
「そういえば、何故共同キッチンがあるのが十二宮なのだ? 他の共同施設は麓の方だろう」
稽古も終わり、外から宮の中に戻ろうとしたところで紫龍に問いかけられてシュラは足を止めた。
「以前の聖域の食料配給は、水とパン以外は基本的には祭りのときにしかなかったのは知っているか? まぁ他にもいろいろ不便でな。下は街が近いからなんとかなっていたんだが。
十二宮がろくな生活環境じゃないかわりに黄金聖闘士は従者を持って、聖域にいるときは一切の世話を従者に任せるのが今までの制度らしかったんだが、俺とデスマスク、アフロディーテの三人はほぼ常駐しなきゃならないわ従者なんて持つとかえって面倒なことになるわで、結局どこか上の方にキッチンがあれば自分で作るとデスマスクが言い出して、当時磁場が特殊だった巨蟹宮は却下、双魚宮は上すぎて却下となって俺のところになったんだ」
一番磁場が安定しているらしくて、結局この宮だけ生活環境が整えられている状態になった、と続ける。
「風呂もリビングもやたら充実していて、そういうものに気を使うタイプに見えなかったので意外に思っていたんだが……そうか、元は共同だったんだな」
ちなみに現在の聖域は石の寝台がお気に召さなかったアテナのおかげで電気水道などきっちり設備が整えられて、教皇の間の執務室にはパソコンまである。外観の変化はほとんどないが。
「今にして思えば……気を遣われていたな」
必ず誰かがいる磨羯宮。孤立しないように、一人で抱え込まないように。誰が忘れようと許そうと永遠に覚えていることを決めた自分へ、仲間たちはただ傍にいてくれた。
「シュラ?」
「……いや、なんでもない」
呟きを聞きとがめる紫龍に気にするなと返してシュラは歩き出す。
キッチンに入れば、食に人一倍執着している男は食べ盛りの少年たちの分も計算にいれて夕食を作っていることだろう。今日試作品のケーキを焼くことは伝えてあるからサガやアイオロスも教皇の間で補佐の仕事が終わればおりて来てデザートついでに夕食も食べていくだろうし、ひさびさの大人数に盟あたりは手伝わされているかもしれない。
以前シチリアに行ったときは、二人並んで料理している後ろ姿が銀髪のせいで親子に見えなくもないなと思ったが、今はどうだろうか。
そんなどうでもいいことを考えながら、シュラは磨羯宮に入っていった。
おわり
■儺火つう様よりコメント■
彼らの日常シリーズ第二弾。
煙草に続きネタをまくだけまきました(爆)
またしても現場に居合わせる紫龍に今回は盟が道連れ。
作者の頭の中ではあまり可愛いと思ったことのない生き物のうさぎが存在してましたが、
もう少し可愛くてもとつくりもののうさぎを考えようとして
ミッ○ィーが走ってゆき速攻で却下。
○ッフィーは可愛いと思うのですがそれと見詰め合う図は
ファンシー通り越してシュールです。ありえません。
そしてザッハトルテを作れる蟹もだいぶありえないです(爆)
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